教育の多様性〜その4〜
ここ最近、リアルが忙しくなってきて、
毎日投稿が難しくなってきました。
子どもにも言っていることですが、無理はせず自分のペースで投稿を続けていこうとおもっています。
少しずつネタが少なくなっているのも事実ですが...笑
今日のテーマは
合理的配慮をどう考えるか
です。
最近、教育関係で聞くことが多くなったこの
合理的配慮
という言葉。
2016年4月に施行された「障害者差別解消法 (正式名称:障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律)」により、この合理的配慮を可能な限り提供することが、行政・学校・企業などの事業者に求められるようになりました。
細かい解釈はありますが、要は
- 障害のある人もない人もそれぞれ同じように人権が保障されなければならない。
- 障害のある人でも、ない人と同様に教育や就業できるように配慮措置が必要。
ということで、この合理的配慮という言葉が生まれました。
僕は、障害の有無にかかわらず世の中には沢山の合理的配慮が必要だと思っています。
例えば、言語理解が難しい人に対しては図で教えてあげるたり、時間の把握が難しい人には、時間ごとの予定を提示したり...
コレを差別だと感じることは少ないと思います。
でも、子どもの場合はそうとは限らないことがあります。
例えば、ADHDの子どもに対して、机の周りに壁を作って、刺激を少なくする配慮をしている先生がいたとします。
そのクラスを見た他のクラスの先生はどう思うでしょうか。
「あの子だけ、周りと違って可哀想じゃないか?」
「みんな平等でないと保護者からクレームが来るのではないか?」
などいった意見が少なからずでてくるものだと思います。
確かにその意見は正しいと思うので、僕ら教育者はその子に対してどうアプローチするか悩むのだと思います。
そのような支援に悩んだ時にどうすればいいか。
それは、
自分も相手も幸せな方法は何か
という視点を持つことです。
このことについて説明します。
例えば、ある先生が
「どの子に対しても同じように叱る」
という、ポリシーを持つ先生がどの子に対しても威圧的に叱るとします。
ある子は素直に聴き、行動を改めるでしょう。
ある子は叱られたこと不満に思い、先生への不信感を持つでしょう。
素直な子については、いいかもしれませんが不満を持った子は言い返しや教員への無視などの行動に移る可能性があります。
こうなってしまったら、先生にとって良くない結果が返ってくることになります。
平等というのは、聞こえはいいかもしれませんが、人の生き方として難しいことが多いです。
ある子はあった事実をしっかり伝えて叱る方が効果的ですし、
またある子は、感情に訴える方が理解できることがあります。
それぞれの子にあった話し方をする方が
自分も相手も幸せになる
ことが多いと思います。
大人や教師が犠牲になる必要はありません。
ただ、配慮には沢山の知識や経験が必要です。
そのために、教育のプロとして先生は、勉強しないといけないと思います。
合理的配慮ができる教師を目指したいものです。
ぜひ、試してみてください。